移住定住の見込みのある海外からの流入者

新聞のコラムで「東京など大都市のことと思っていたが松山でも外国人コンビニ店員が増えた。・・・・深刻な人手不足を理由に、政府は外国人労働者の受け入れ拡大に舵を切った。だが、最長10年にもかかわらず家族の帯同を認めず、治安悪化を懸念する声に配慮し管理体制を強化するとの姿勢も示した。」とありました。

首都圏のレストランだと、厨房~フロアまですべて外国人という状況も既にあり得る世の中ですがそんな中で思うのは・・・

外国人労働者、「労働者」と見る・・・・人を労働者と見ることが、いまの時代に即しているのかという根本から、考えていく必要があるということです。

労働力が必要な時に、必要なことをしてくれる、補ってくれる労働者。

労働者?僕も労働者であることは間違いない。
が、今の世の中で人を労働者として区別するだろうか。
サラリーマン、〇〇店の店員・スタッフ、農家、建築作業者、デザイナー、プランナー、、、その場その場で働く人として認識することはあります。職業として。この人労働者だ!(他は?)非生産者だ!経営者だ!みたいなシーンはない。

「外国人労働者」にも、家庭、生まれ育ってきた社会があり、それは日本人も外国人も変わらないはず。

働きながら、もしくは家庭を支えながら、地域社会に加わり発展を図る一員(それは自分や家族を含めた全員)として、在り方を考えていくべきで、このまま無策に「いつの間にか外国人労働者で溢れていた、街が外国人労働者だらけだった」とか言ってそうな気配が漂います。

考えるきっかけは、2016-17年、群馬県の新聞社、上毛(じょうもう)新聞社さんと群馬県大泉町で活動するNPOや学校を訪ねたことから。

 

 

 

 

 

複数の機械系工場が立地し、安い“労働力”を求めた大泉町では、人口約4万人のうち6,000人以上が外国人。特にブラジル出身の方が多く、街は南米の雰囲気満載でした。

外から遊びにいく分には、「異国情緒を体験」「シラスコ食べにいこう」「ブラジル風のスーパーってすごい」といった、新鮮な体験=身近に本当に海外感覚を感じる=日本の地方でという状況ですが、「地域の日本人がほとんど高齢化して、元気に働き街中で活発に活動するのは外国人居住者が大半」という状況がすでにあり、実際お互いに住んでいくとなると、言葉の問題、文化の違い、教育、保険の制度上の問題、例えばゴミ出しのルールひとつとっても、災害時の緊急連絡についても、考え乗り越えなければならない問題が山積しています。“労働力”は住民であり、隣人であり、街の構成員になっています。

愛媛の中山間地域を歩くとき、空洞化した商店街を歩くとき、「外国人移住者がここに溢れればどのような変化が起きていくのか」と想像を一瞬しますが、それも自分にとって都合がよくて、東京も大阪も日本人の人口が減り、外国人を積極的に受け入れ始めた場合、この地方の将来において、日本人が住み着かなくなったところに果たして外国人移住者が入ってくるのか、地方はそこから戦いが始まっていると認識し取り組んでいく必要があると感じます。

都合よく「労働者として受け入れる」と言うのではなく、として、一緒に働く、生きる、育てる、まで考え取り組むべきタイミングが来ていて、高齢者4割、高齢者以外2割、“元”外国人2割といった世界を真剣に検討してくべき時代に僕らはいます。

 

 

 

 

 

スーパーで普通にキャッサバが売られている

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