昨日からの研修(は、まとめてレポートします)の合間、国会の予算委員会の中継をテレビで見ていました。県議会の議会を経て、今までよりはその成り立ちが少し分かるようになった気がします。
で、、、個別の発言がどうこうではなく、今の移動のバスの中で思ったこと。
愛媛新聞は今朝は届かないのでデジタルで読んで、車中では読売新聞があったので読んでいました。
その中の記事で【存在感、独自色が『出た。出なかった。』】一人の人が発言するのを聞いて全く逆の見出しがついています。
読んだ方は異なる印象を持つと思います。
新聞は社会の公器(こうき)としての自負と責任を持つ、と思うのですが、彼らが社会に対してそうであるように、同じく読み手、受け手は新聞に対しても批判的な目を持つ必要があると改めて感じました。
愛媛新聞の記事は署名入りではないので、独自記事ではないと思いますが(定かではない)、ついつい地元のこと、ということで優先して読んでいる自分がいたりします。
単純に真逆で目について比較しただけですけれども、これが、それぞれ何百万人、何十万人というフォロワー(読者)に向けて毎日行われているとすると、結構すごいことなんではないかと。
メディアはある意味で、人を助けたり傷つけたりもする武器でもあると思います。
もっと言えば、この投稿含め毎日溢れる情報をどう捉えて読んでいくのか。
ネットの読解力が他の先進国に比べて低いとされる日本の新しい課題だでもあります。
当たり前なことですが、
自分で調べて考えて判断する、それ以前の考える力をつける。
色々考えさせられる真逆な話、でした。