みなさん、新聞読みますか?私は読みます。でも数分しか読みません。
同世代で読む、という人が随分減りました。みなさんの周りで実感としてどうですか?
かつては新聞が唯一のメディアであった時代から、自由に、無料で情報が得られるようになりました。
わざわざ読む必要がない、と思うひとも多いのでないでしょうか。
高齢者による、高齢者のためのメディアとなってきている様相を呈しています。
子どものときに、学級新聞や旅行新聞を作って楽しかった記憶がありますか?
自分は学級新聞作って楽しかった気がします。
でもそれは、何かで見た別の誰かの記憶かもしれません。
紙面を読んでいて、嬉しそうに新聞を持つ若者の姿をみて、いろいろ考えてしまいました
昔は楽しかったはずのものが、いつのまにか手に取らない、手に取りたくないものに変わっていくプロセスをしっかり研究して、越えてほしいなあと思います。
新聞紙面、朝刊が40ページあったとして、全部文字だと 50万4,000文字になるそうです。
広告や写真があって仮にその半分だとしても、約25万文字、400字詰め原稿用紙625枚になります。
今回、私は議会に登壇するので原稿を書きましたが約8,000字、原稿用紙20枚分です。これでしゃべって30分。
毎日、毎日 25万字×全国の新聞 と考えると本当はすごいことです。
地域の話題、芸能、国際、ジャンルを超えて広がっている文字の海。
毎日、じっと熟読するのではなく(できるときはそうして)眺めてみるだけで、十分な気がします。
いつから若者が嫌いになってしまうのか、それはなぜか。
社会的要因(反抗、無関心)がつよい気がするのです。生理的要因(はあまりない気がするのですが)
文字の海、情報の海で泳ぐからこそ、選び考える力をつけたいですよね。
毎日たくさんの事件、事後、があり、日常があります。
人と人の関わり合いを考えながら自問自答し、自分も日々頑張ります。
新聞、から深聞へ。深く知るための道具となっていると思いますが、政治情勢、政治への無関心。社会への無関心。直面することだからこそ、頑張ります。